ついに2023年も最後の月となりました。年々加速しているような時間の感覚を「ジャネーの法則」というそうですが、人生における1年の比率が小さくなっていく体感は仕方ないにせよ、最近ではその猛スピード感に恐ろしさを感じるほど(笑)。ありがたくも、それだけ充実しているということでしょうか。
さてこの「師走」。文字通り「師が走る」ことを表していて、この「師」についてはさまざまな説があります。なかでも有力とされているのが「師」は「僧侶」を表しているという説。昔から冬は僧侶を招いての仏事が多かったことから、年末にかけて東西に駆け回る様子からこの名前がついたとか。
そんな様子など想像もできないほど穏やかで凛とした僧侶と出会いました。京都・栖賢寺(せいけんじ)の住職、宗貫氏。
28歳で出家した彼は比叡山の麓、八瀬にほど近い場所の空き寺に、2016年無檀家で入寺。普段は拝観を行っていない栖賢寺に、私はたまたま撮影で赴く機会をいただき、その後プライベートで坐禅の体験をするために再訪しました。
宗貫氏は坐禅会などを主催し、坐禅を通して「本当の幸せ」を追求するために、なお坐禅修行を続けられています。
坐禅と聞くと子供の頃見たアニメ「一休さん」を思い出しませんか? 坐っている間に居眠りする一休さんを住職が警策(けいさく)で肩を叩いて一喝!のアレです。ところが栖賢寺で体験した坐禅はそれとは全く違っていました。それぞれ壁に向かって「感覚や思考を解放してただ坐る」。そして「湧き起こる想念を追わず、良し悪しをつけず、傍観して受け流す」。
時間は5分を2回のみ。決して長いものではないけれど、緑に包まれた静謐な空間で、鳥の鳴き声、風に揺れる緑が擦れる音、時折遠くに響く叡山電車の「ガタゴト」を耳に、静かにただありのままの自分と向き合う時間は、本当に特別なものでした。
坐禅という習慣はご存知の通り、インドでブッダ(釈迦)が悟りを開いたことから広く知れ渡り、その後中国に渡り、長い年月をかけて日本にも伝わりました。その歴史は800年とも言われています。また釈迦が悟りを開いたのが12月8日と言われているため、今も12月には集中して坐禅をする慣わしがあります。
2023年も後わずか。今年を振り返ると共に、バタバタと忙しい時間から自分を解き放って静かに坐る時間を敢えて作るのもよいかもしれません。
今年も毎月読んでいただいてありがとうございました。良いお年をお迎えください。