ひとり旅にアート心も入れて by 塩見有紀子

第45回 重要文化財にある三菱ゆかりの美術館で、幕末・明治の画鬼と鬼才を見る(東京都・丸の内)

皇居の目の前に、ひときわ目を引く古代ギリシア風のコリント式列柱が印象的なビル「明治生命館」があります。昭和9年(1934)に建てられた国指定重要文化財の近代建築です。このビルの一階に、静嘉堂文庫美術館(静嘉堂@丸の内)が202210月にオープンしました。

静嘉堂文庫美術館の歴史は、三菱第二代社長の岩﨑彌之助(18511908)と、彌之助の長男である第四代社長・岩﨑小彌太(18791945)が収集したコレクションを一般に公開するため、1977年に東京・世田谷に美術館を創設したことに始まります。そのコレクションは、世界に3点しか現存しない中国・南宋時代の≪曜変天目≫を含む国宝7点、重要文化財84点、約20万冊の古典籍、6500点の東洋古美術品に及びます。

ミュージアムショップで購入できる曜変天目ぬいぐるみ。リアル!

そして、“丸の内に倫敦のような近代的なビジネスセンターや文化施設を作る”という彌之助がかねてより抱いていた願いが、静嘉堂創設130周年を迎えた2022年、丸の内への移転で実現しました。

同じ丸の内には煉瓦造りの三菱一号館美術館(リニューアル休館中)があり、かつてこの辺りが「一丁ロンドン」と呼ばれた街並みの名残を感じさせます。

静嘉堂@丸の内のある明治生命館は、装飾をちりばめた美しい外観、吹き抜けの内観、花模様がちりばめられた柱と天井、大理石の床など、当時の技術の高さを誇ります。

静嘉堂@丸の内のホワイエ

そして現在、静嘉堂@丸の内では、特別展「画鬼 河鍋暁斎×鬼才 松浦武四郎」展を202469日まで開催中です。

暁斎の代表作のひとつ≪地獄極楽めぐり図≫も展示

幕末・明治に独自の道を切り開いた絵師・河鍋暁斎(18311889)。仏画、花鳥画、美人画にとどまらず、風刺画や酒宴で客の注文に応じて描く席画など、その活躍は多岐に渡ります。暁斎独特の世界観は当時の文化人たちを魅了し、そのひとりに初代の三菱一号館美術館の設計を手がけたイギリス人建築家のジョサイア・コンドルがいます。コンドルは暁斎に弟子入りして絵を学び、暁斎の作品を海外に紹介もしました。

一方の松浦武四郎(18181888)は、「北加伊道(北海道)」の名付け親として知られる探検家、好古家、著述家です。未開の地であった蝦夷地に6回も渡り、アイヌの人々の協力を得ながら蝦夷を調査し、内陸部まで記した地図を初めて作成しました。明治政府の蝦夷政策に反対の異を唱えたことを機に引退し、その後は古物蒐集と出版に情熱を傾けました。武四郎の旧蔵品は小彌太の父であり三菱第二代社長の彌之助が所蔵し、永く静嘉堂文庫に秘蔵されていたそう。

暁斎の作品や武四郎の蒐集品を展示(プレス内覧会にて撮影)

自著の挿絵などを度々暁斎に依頼するほど、深い交流があった武四郎と暁斎。その代表作のひとつが今展に展示されている、武四郎自身を釈迦に見立てた≪武四郎涅槃図≫です。

≪武四郎涅槃図≫(部分)と大首飾り(部分)(プレス内覧会にて撮影)

釈迦の死(入滅)を描いた一般的な涅槃図では、横たわる釈迦の周囲に嘆き悲しむ弟子たちや仏、鳥や獣が描かれます。一方の≪武四郎涅槃図≫では、飛来する遊女や禿、横たわる武四郎の周囲には羅漢や不動明王、鳥や動物に加えて、郷土玩具や張り子の虎など、武四郎が蒐集したものが所狭しと並びます。

そして中央には、古代の勾玉を連ねたお気に入りの大首飾りを架けた寝ころぶ武四郎がいます。武四郎の顔をよくよく見ると微笑んでいるかのよう。好きなものを好きなだけ集め、それらに囲まれた自身の老年期に満足した顔なのでしょうか。絵空事を現実感ある描写で表現できる画力を持つ暁斎の卓越した才能ぶりに惹かれる逸品です。ぜひ≪武四郎涅槃図≫の隣りに展示されている大首飾りをはじめ、武四郎が集めた古物とともにじっくりご覧ください。

静嘉堂@丸の内
画鬼 河鍋暁斎×鬼才 松浦武四郎
https://www.seikado.or.jp/

◇おひとり様ポイント◇
ホワイエでは、静嘉堂の歴史と曜変天目に関するVTRを見られます。今展でも曜変天目は展示されているので、その輝きにも魅了されてくださいね。

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