マイスターと世界遺産の知の旅へ by 山本厚子

第19回 人類が犯した過ちを伝え、平和な世界の尊さを語りかける「負の遺産」(広島、ポーランド、ボスニア・ヘルツェゴビナ)

前回もロシアのウクライナ侵攻に関連して、世界遺産のお話をさせていただきましたが、2ヶ月経った現在(2022年6月)も残念ながら両国は停戦に至っていません。私たちはこれまで幾度となく平和の大切さを学ぶ機会を得てきたと思いますが、世界遺産の中にも戦争や人種差別への教訓となる遺産があります。それらは世界遺産条約の中で正式に定義されてはいませんが、「負の遺産」と呼ばれています。

 「広島平和記念碑」という名称で1996年に登録された原爆ドーム。

戦争に関連した負の遺産で、日本人として一番身近に感じるのは、「原爆ドーム」でしょう。1945年人類史上初めて原子爆弾が広島に投下されましたが、爆心地に近い場所にあったにもかかわらず、倒壊を免れた建物です。むき出しとなったドームの鉄骨や崩れた壁が、今も核兵器廃絶と平和の尊さを訴えています。

 1979年に登録されたアウシュヴィッツは、ナチスによる虐殺の歴史を伝えています。(Photo by pixabay)

また、同じ第二次世界大戦の負の遺産として有名なのは、ポーランドに残された「アウシュヴィッツ強制収容所」です。近隣にあるビルケナウ強制収容所とともに、ナチス・ドイツによって強制的に連れてこられたユダヤ人や政治犯、捕虜などが過酷な重労働や処刑によって命を奪われた場所として世界遺産に登録されています。

2005年に世界遺産登録されたモスタルのスタリ・モスト(トルコ語で古い橋の意味)」。
(Photo by pixabay)

そして、多民族・多宗教の国、ボスニア・ヘルツェゴビナには、「モスタル旧市街の石橋地区」という遺産があります。ネレトヴァ川沿いに広がる古都モスタルには、イスラム教徒とカトリックを信仰するクロアチア人が住んでいましたが、1990年代のボスニア紛争で対立が激化。16世紀に架けられたスタリ・モストと呼ばれた古い橋も破壊されてしまいます。紛争終結後、国際協力やユネスコの支援を得て、元のアーチ型の美しい姿を取り戻し、今は多民族・多文化の共生と平和の象徴となっています。

これらの負の遺産を知ることは、私たち人類が犯した過ちを振り返り、二度と繰り返してはいけないと、改めて心に刻むきっかけを与えてくれます。そしてこれ以上、負の遺産を増やしてはいけないのです。

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