今日も古墳日和 by 多田みのり

第34回 大坂冬の陣で徳川家康の本陣となった茶臼山は実は古墳かもしれない⁉︎  天王寺公園内にある茶臼山古墳(大阪府大阪市)

【古墳プロフィール】
名  称:茶臼山古墳
古墳の形:前方後円墳?
時  代:5世紀?
整備状況:大阪府指定史跡「茶臼山古墳および河底池」として整備
U R L:https://www.pref.osaka.lg.jp/o180150/bunkazaihogo/bunkazai/tennoujikouen.html

今年は大阪・関西万博が行われ、大阪を旅した人も大勢いらっしゃったのではないかと思います。二度の万博を経た大阪も歴史を遡れば、戦国時代から江戸時代初期にかけては天下の覇権争いの舞台でした。特に徳川家康と豊臣家が争った大坂の陣は、江戸幕府の支配を確固たるものにした大きな戦いでした。そして、1614年の大坂冬の陣で徳川家康が本陣を、また1615年の夏の陣では真田幸村が陣を置いたのが、今回ご紹介する天王寺公園内の茶臼山です。

いくつかある登山口のひとつには、立派なモニュメントがある

天王寺公園は通天閣を間近に望む1909年開設の歴史ある公園で、大阪市立美術館や天王寺動物園、旧住友家本邸の庭園である慶沢園、レストランやカフェ、広大な芝生広場などを備えた「てんしば」など、1日では遊び足りないほどのレジャースポットです。

天王寺駅から公園の中を抜けていくと、河底池(かわぞこいけ)の向こうに茶臼山が見えてきます。こんもりとした丘のような形状ですが、標高26mの立派な山、そして前方後円墳の可能性もあるのです。

茶臼山の全景がよく見えるのは河底池からのビュー。遠くには通天閣も見える

その根拠としては、河底池は古墳の周濠の跡であり、近隣にある四天王寺の境内には茶臼山古墳のものと推察される長持形石棺の蓋が遺されていること、また四天王寺の山号である荒陵山(あらはかさん)の荒陵とは茶臼山古墳を指していると考えられてきたからです。5世紀ごろにこの地を治めていた豪族の墓で、全長200mほどの大阪市内でも最大級の前方後円墳かもしれないのです。

大阪府指定史跡「茶臼山古墳および河底池」の石碑も建つ

途中で振り返ると、河底池の向こうにあべのハルカスが!

しかし、1986年に行われた発掘調査では、大坂の陣の本陣遺構などは検出されましたが、埴輪や葺石は発見されず、古墳ではないとする意見が唱えられました。ただ、平安時代以前に行われた盛土の工法が古墳のそれと似ているため完全に否定されたわけでもなく、古墳の可能性も残されている、というのが現状です。

茶臼山頂上。標高26mなので5分ほどで登頂可能

徳川家家紋の三つ葉葵と真田家家紋の六文銭が左右に刻まれた三角点もある

またそれとは別に、河底池については788年に和気清麻呂が、旧大和川の流路を変えるために上町台地をこの場所で開削しようとした跡地とも言われています。古墳の周濠を利用しようとして途中で頓挫したことから、赤い橋は和気橋と名付けられています。この池が社会の教科書にも出てくる和気清麻呂の土木工事の跡でもあると考えると、穏やかな姿も違ったものに見えてきます。

ちなみに河底池は、1903年に開催された第5回内国博覧会の跡地でもあります。1970年よりもはるか前にも大阪で博覧会が行われていたんですね。河底池には飛艇戯(ウォーターシュート)が設けられていたそうです。

水鳥が憩う河底池一帯は、公園散策の合間の休憩にぴったり

様々な時代の歴史が絡み合う茶臼山と河底池は、近隣の人々の散歩コースとして、また合戦の舞台として散策する人の姿が多く、解説版も豊富に建てられて史跡としての余生を過ごしています。第32回でご紹介した京都府の恵解山(いげのやま)古墳もそうですが、歴史が重層する場所はいつだって興味深いものです。

★古墳日和ポイント★

天王寺公園内は美術館、動物園、庭園と楽しいスポットがいっぱい。飲食店も多いですし、ピクニックできる場所も豊富にあり、「墳活」だけではもったいない場所です。文化に触れる 1 日を存分に楽しんでくださいね。

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