今日も古墳日和 by 多田みのり

第12回 CMロケ地にもなった赤城山南麓を代表する豪族が眠る大室古墳群 前編(群馬県・前橋市)

【古墳群プロフィール】

名 称:大室古墳群(おおむろこふんぐん)
古墳の形:前方後円墳4基
時 代:6世紀初頭から後半
整備状況:日本キャンパック大室公園内にある前方後円墳4基とも史跡整備
展示施設:公園内の「大室はにわ館」で出土品や複製した埴輪・土器を展示している。
U R L:https://www.city.maebashi.gunma.jp/soshiki/kyoiku/bunkazaihogo/gyomu/3/2/5109.html

今回から2回にわたって、群馬県前橋市の大室古墳群をご紹介しましょう。赤城山を望む前橋市東部に位置し国の史跡に指定された古墳4基は、日本歴史100選に選ばれた大室公園内にあります。公園の南側から北へと、前二子(まえふたご)古墳・中二子(なかふたご)古墳・後二子(うしろふたご)古墳・小二子(しょうふたご)古墳と並んでおり、続けていうと早口言葉のようなネーミングの4兄弟の古墳群です。前編は、前二子古墳と中二子古墳を訪ねます。

史跡案内版には、古墳の名称や形状が描かれています。
古墳の特徴をうたった俳句が的確で、思わず口ずさんでしまいます。
前二子古墳は「前二子 長い石室 古さのあかし」。こうした工夫、いいですね。

長い石室と豊富な副葬品を有する前二子古墳

もっとも南に位置する前二子古墳は2段築成の前方後円墳で、6世紀初頭の築造、明治11年に村民等による調査が行われ石室が開口されました。土器や装身具、鏡、馬具などの副葬品が原位置に近い状態で見つかったことや、それらが公開され全国から5000人を超える見学者が訪れたことが、当時の絵図面や調査記録に記されています。

墳丘長94m、高さ14mで、まわりに周堀、周堤・外周溝がめぐり、
それらを含めると全長148mにもなります。
墳頂やテラス部、周堤には1300本もの円筒埴輪が巡り、
墳丘には盾持人や男子像、馬、家などの埴輪が飾られ、上段盛土には葺石が葺かれていました。

両袖型横穴式石室は全長13.8mもあり、中に入ることができます。
2020年春のJR東日本「大人の休日倶楽部」のCMでは、
吉永小百合さんが石室を探索する様子が放映されたので、
覚えている方もいらっしゃるかもしれません。

石室は羨門、羨道、扉石、玄門、玄室と複雑な構造をしており、
最奥の玄室には復元された土器などが、発見時を再現して配置されています。

平成4年度から行われた整備に伴う調査では、凝灰岩が床面に敷かれた玄室には赤色顔料のベンガラが塗られ、赤く加工されていたことがわかりました。また、墳丘に立てられた杖形埴輪は奈良県のものとよく似ているほか、出土品の装飾器台には朝鮮半島南部のものと共通した小像が付けられています。大和や半島との交流も窺える被葬者はどんな人物だったのでしょうか。

最も規模が大きく埴輪が立て並べられた中二子古墳

多くの埴輪が見つかった中二子古墳は墳丘長111m、高さは15mあり、二重の堀を含めた全長は170mにもなる二段築成の大型前方後円墳です。中堤上や下段の平坦面、墳頂部には埴輪列を有し、その数は3000本と推定されています。

中堤上に復元された埴輪列。
盾持人形埴輪と円筒埴輪が密接して並べられ、外敵から古墳を守っています。
円筒埴輪の中には、人の顔が描かれた全国でも数例しかない珍しい埴輪も見つかっています

平成5・6年度の調査で内堀の北側くびれ付近と西側中央に、
工事や儀式の際に堀を渡った「わたり」があることがわかりました。

地下レーダー探査調査を行いましたが、いまだ石室が見つかっていません。どのような石室にどのような人物と副葬品が眠っているのか、その謎が解かれる日が待ち遠しいですね。

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