ひとり旅にアート心も入れて by 塩見有紀子

第2回 浮世絵に描かれた日本橋を発着する舟で江戸の歴史を辿ってみよう!(東京都・日本橋)

歌川広重が描いた東京・日本橋を描いた《東海道五拾三次之内 日本橋》。きっと一度は見たことのある浮世絵なのではないでしょうか。

大名行列と魚河岸から仕入れた天秤棒を担いだ様子が描かれた早朝の日本橋

広重〈1〉『「東海道五拾三次之内」 「日本橋」』(Art Institute of Chicago (AIC)所蔵)「ARC浮世絵ポータルデータベース」収録 (https://jpsearch.go.jp/item/arc_nishikie-AIC_1925_3498_)

 

今では考えられませんが、江戸時代まで海岸線は現在の皇居辺りまでありました。日比谷は「日比谷入江」と名付けられた遠浅の湿地帯が広がる浅瀬で、現在の新橋辺りのすぐ目の前も海でした。

家康が土木工事でいち早く埋め立てを命じたのは、この日比谷入江だったそうです。以降、八丁堀、築地、佃島、深川と海に向かって埋め立てが進められ、埋め立てた地に流れていた運河は舟運、用水路、排水路などにと有効利用され、江戸は水の都として栄えていました。

右中央の「く」の字の辺りが江戸橋、その少し上が日本橋。左中央の赤い四角い地帯が築地本願寺

景山致恭,尾張屋清七『築地八町堀日本橋南絵図 全』(国土交通省国土地理院所蔵)「古地図コレクション」収録 https://jpsearch.go.jp/item/kochizu_collection-221)

現在ほとんどの川は暗渠となってしまいましたが、広重が描いたような水の都・江戸を感じてみたいと思い、日本橋のたもとから発着するクルーズに乗船してみました!

舟から見上げると、首都高の曲線や橋のケーブルが美しい

この日は絶好のコンディション! 満潮とあまり潮位が変わらない小潮に当たったため、低い橋にも対応した専用設計のクルーズ船であっても橋下ギリギリになることも。新型コロナウイルス対応のため、乗船人数も制限され、屋根のないオープンタイプの船だったのも安心でした(9月中旬時点)。

鎧橋に残る渡舟場、江戸時代から続く日本橋水路、亀島橋近辺はかつて荷捌き場があり、現在タワマンが立ち並ぶ大川端リバーシティ21エリアはかつての人足寄場である石川島、戦災にも焼けなかった住吉神社などなど、ガイドさんの解説により今と昔の歴史が重なっていきます。 

圧巻の東京スカイツリーを遠望。後ろの真っ白な雲と相まって先端までくっきり

約45分間のクルーズで日本橋に戻ってきました。

 

左上:日本橋の賑やかな様子と富士山や江戸城が一緒に描かれていますが、
方角的には少しムリ目?広重の誇張でしょうか(笑) 
 
右下:現在の日本橋には獅子のレリーフが

左上:歌川広重〈1〉,森 森屋 治兵衛 『「新撰江戸名所」「日本橋雪晴圖」 』(東京都立中央図書館所蔵)「ARC浮世絵ポータルデータベース」収録 (https://jpsearch.go.jp/item/arc_nishikie-0421_C032)

全国に通じる五街道の起点となり、魚市場がすぐ近くにあり、倉庫街や問屋街が並んでいた日本橋。歴史が積もるいくつもの橋をくぐり、川からしか見られない景色を見れば、いつもの光景とはまったく違う東京が見られるはずです。気軽なショートトリップで江戸を辿る舟の旅を楽しんでみましょう。

そして、江戸時代中期から庶民文化として根付いたとされる金魚は、江戸の夕涼みとして庶民が愛でていたといわれます。「アートアクアリウム美術館」は、バーラウンジや金魚をテーマにしたスイーツを食べられるカフェも併設する常設の美術館として、8月に日本橋に誕生した新しいスポットとして注目です。

https://artaquarium.jp/

左下:江戸時代はこのように上から金魚を眺めていたそう

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