あなたも「近代化遺産」萌え! by 関屋淳子

第37回 歴史の証人、広島という特別な地に残る被爆建物 (広島県・広島市)

原爆投下から78年、広島市には被爆した後も現存する「被爆建物」が86件登録されています。世界文化遺産にも登録されている原爆ドーム。100年以上前、広島の産業復興を図る拠点・広島県物産陳列館として開館しました。

チェコ人建築家のヤン・レッツェルが設計したドーム屋根が印象的な近代洋風建築は、昭和20年(1945)、86日に鉄骨とレンガを残すだけの姿になりました。人類への警鐘という使命のある遺産は保存工事が繰り返され、その姿を留めています。見る角度によって表情が異なり、威厳や哀惜、静謐が感じ取れるような気がします。

 

爆心地からの距離360mにあったのが大正14年(1925)建築の三井銀行広島支店です。天井や屋根の大半が壊れましたが、ベーカリーのアンデルセングループが建物を買い取り、「広島アンデルセン」(本店です)としてリノベーション。爆心地と反対側の東側と北側の外壁は被爆した当時のまま残っていましたが、3年前に建て替え。被爆遺構として現存しているのは一部ですが、石造りの外観と2階までの吹き抜けが往時の面影を残しています。2階はレストラン、美味しいお料理とパンをいただきました。

 

爆心地からの距離380m。旧日本銀行広島支店は昭和11年(1936)竣工、日銀支店ということで堅牢だったため倒壊を免れ、被爆建物のなかでも保存状態がよいものです。なんと原爆投下の2日後、88日に民間銀行等に間貸しし、営業を再開。通帳も印鑑もない顧客の払い出しに対応し、焦土のもとでの経済活動を再開させる一助となりました。あいにく930日まで館内復原作業中で、内部に入れませんでしたが、通常一般公開されています。

 

旧広島港湾事務所は宇品という海岸沿いにあります。明治42年(1909)に広島水上警察署として建てられました。広島市内に現存する唯一の明治の木造洋風建築です。爆心地からは4.6㎞、木造にもかかわらず倒壊を免れた被爆建物です。修復に相当な金額がかかるようで、残念ながら活用されていません。下見板張りの外装、正面のペディメント、縦長の上げ下げ式の窓など随所に明治を感じます。何故か正面一部だけ彩色されていて、それがかえって朽ちる悲しみを強調しているように見えました。

 

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