今日も古墳日和 by 多田みのり

歴史の宝庫・行田で足袋作り体験!

 埼玉県の北部、群馬県と接する行田市は歴史の宝庫。歴女の私にとっては、身近な聖地のひとつでもあります。巨大古墳が密集する「さきたま古墳群」や、石田三成の水攻めにも耐えた忍藩十万石の名城「忍城址」、そして近代には足袋産業で栄え蔵の町としても知られています。そんな学びの秋にぴったりな行田市で、足袋をめぐる旅(ダジャレではありませんよ〜)を楽しんでみませんか?

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路地裏ブラリの足袋蔵散策
 行田の名産品として知られる足袋。古墳目当てで何度も行田を訪ねているのに、実はつい最近まで足袋が名産品だとは知りませんでした。このあたりは木綿や、木綿を藍で染めた青縞という織物の産地で、行田では江戸時代前期から足袋作りが始まったそうです。明和2年(1765年)に出版された旅行ガイドブックには、「忍(=行田)の刺し足袋名産なり」と記されています。「さし足袋」とは、藍染めに刺し子を刺した旅行用の足袋のこと。中山道熊谷宿と日光館林道の行田の宿場があったため旅人が多く、さし足袋の需要が高かったのです。藍には虫除けやヘビ除けの効果があり、さらに刺し子をすると布地が頑丈になるということで、山道などを歩いていく昔の旅には、行田のさし足袋は重宝されたことでしょう。
 明治中頃になると手縫いからミシンに変わり、さらに足袋産業は発展していきました。行田あたりが木綿の産地の北限なので、木綿を栽培できない寒冷地の東北方面では特に需要があり、販路を伸ばしたそうです。最盛期の昭和13年ごろには、200社近くの足袋屋が軒を連ね、年間約8500万足が作られ、全国シェアの80%を占めたというから驚きです。

 その繁栄ぶりをうかがえるのが、市内に90棟ほど残る足袋蔵。足袋の商品蔵で、明治30年代から建設が本格化し、昭和30年代まで作られました。日露戦争後の不景気に、仕事をほしがっていた職人に建てさせたものが多いそうです。石、モルタル、コンクリート、レンガ、木造など様々な材質の足袋蔵を見ることができます。

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 足袋は防寒具でもあるので、需要は秋口から春先。それ以外の時期には足袋を作って足袋蔵に保管しておきます。ほかの蔵と違い、足袋蔵は商品の出し入れが少ないため、敷地の一番奥に建てられることがほとんど。よって、蔵の街といっても表通りにずらっと蔵が並んでいるわけではないのですが、路地裏をブラブラと歩いて蔵を見つけるのが、行田風街歩きの楽しみなのです。

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マップに載っている蔵には、案内板が付けられています。

 ということで、行田市駅近くの、足袋蔵を再利用した観光案内所「足袋蔵まちづくりミュージアム」を訪ねました。「NPO法人ぎょうだ足袋蔵ネットワーク」の事務所を兼ねていて、イラストと説明入りの「足袋蔵マップ」をもらうことができます。内部を見られる足袋蔵は少ないのですが、この「足袋蔵まちづくりミュージアム」は、2階にもあがることができます。明治39年に建てられた白壁の美しい蔵で、内部の梁も見事。足袋屋ののぼりや看板が飾られたギャラリー風になっています。

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 マップを頼りに、次は昭和4年に建てられた国登録有形文化財の店蔵(忠治郎蔵)へ。元は足袋の原料問屋。解体予定だったが、蕎麦屋として再利用。歴史を感じる梁や柱、重厚な金庫が見られます。主屋部分は北風の強い行田ならではの作りで、北と西側の壁を漆喰で塗り固めた、防火の工夫がなされています。

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 実は、90棟ほどある足袋蔵のうち、現在も足袋を収納している蔵は3〜4棟程度しかありません。なにしろ足袋製造をしている商店が10軒(+卸のみの商店が10軒)となってしまったため、蔵が必要なほどの商品量を扱っていないのが現状です。足袋蔵として使われなくなった蔵の大半がただの物置となり、中にはまったくの空っぽの蔵もあるそうです。そのため、足袋蔵を保存・活用していくための「NPO法人ぎょうだ足袋蔵ネットワーク」が設立され、街の貴重な遺産として楽しめるよう様々な取り組みが行われて、街の魅力アップにつなげています。

●世界に一足だけのマイ足袋を作ろう!

 もっと行田の足袋について知りたいと思い、足袋とくらしの博物館を訪ねました。廃業した足袋工場を再活用した博物館で、大正時代の工場と隣接して足袋蔵も残されています。

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 ここでは足袋作りの実演が見ることができます。足袋作りは13ないし14工程あり、9台もの専用ミシンをつかって縫い上げます。中に入ると、賑やかな音を響かせながら年代物のミシンや機械が働いていました。「ガシャン」という、型を置いて大きな足踏み式の裁断機で布を裁つ音。「カシャカシャ」は、足袋作りの中で最も難しい行程である、つま先部分を縫う音。「コンコン」と木槌で成形する音などなど。

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工場として使われていた当時の注意書きなども残っています。
足袋の商品ラベルって色とりどりでかわいいものが多いんですよ。

 足袋作りはすべて部分縫いの分業制で、職人さんは基本的に一生一工程。工程によって賃金も異なるのだそうです。1899年製のミシンも現役で使われていてレトロ感もいっぱい。流れるような職人技を間近に見られて、「足袋ってこうやって作るんだぁ」と楽しめる空間です。
 ここで毎月第2日曜日に、オリジナルの足袋を作る体験ができる「MY足袋作り体験」が開催されています。
 体験は、見本の足袋を履いて足のサイ
ズを見るところから始まります。同じサイズでも幅や甲高が違うのでいくつか履いてみて、ぴったりと足に添うものを選びます。布はいろいろな柄のものが用意されていますが、持ち込みもOK。職人さんの指導のもと、簡単な行程は自分でやらせてもらって1時間半ほどで完成します。

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まずは採寸。私も職人さんに見立ててもらったら、普段の靴のサイズより1センチも小さいものを勧められました。
足袋は小さい方がカッコいいそうです。
サイズと足の形がわかったら、棚に置かれた金型の中から、合うものをチョイスします。

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続いて布の裁断。うまい人とそうでない人では、金型をどう置くかで1反で10足ほども違いが出るそうなので、
無駄のないように慎重にかたどらないといけません。
布選びも相当悩みましたが、友人はクリスマスっぽい
赤の柄物を、私は親指側と四指側で違う布を合わせてちょっと冒険してみることに。

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素人でも問題ない(失敗しない)行程は自分でやってみます。左はコハゼをひっかける糸を特殊な機械で仕付ける「掛け通し」。
右は専用に改造されたミシンでコハゼを縫い付ける「コハゼ付け」。コハゼまでミシンで付けることに驚きました。

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かかと部分を丸く縫う「尻止め」。丸く縫うことだけに特化した特殊ミシン。手を離していても、くるりと丸く縫えます。おもしろい!

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細かなギャザーを寄せてつま先を縫う「つま縫い」は、縫製工程の中では最も難しく、一番賃金の高い工程。
それだけ高度な技術が必要ということで当然、職人さんにやってもらいました(笑)。
異なる大きさの歯車が付いていて、自動でギャザーが寄せられます。

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「つま縫い」の後は、ぐるりと周囲を縫い上げます。かなり緊張しました。仕上げの木槌整形もやってみました。
縫い目を隅まできっちりと返して、柔らかな曲線を出していきます。「簡単そう!これならできるわ」と思ったのに、
なかなか難しく、職人さんの技術に改めて感心しました。

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昔ながらのパッケージに入れて、完成!かわいらしいオリジナルの足袋ができました。
なかなかいい感じでしょ? アンティークの着物にあわせたいと思っています。

 このMY足袋作り体験。着物にこだわる人の間では全国的に知られてきているそうです。裏側や内側だけ柄物にしたりしてオシャレを楽しむのもいいですね。着物好きの方、ぜひ訪ねてみてくださいね。

【足袋とくらしの博物館】
住所/〒361-0073 埼玉県行田市行田1-2
電話/048-552-1010(まちづくりミュージアム)
開館日/土・日曜のみ
開館時間/10〜16時午前10時〜午後4時
入館料/200円(小学生は100円)
交通/秩父鉄道行田駅南口から徒歩5分
●MY足袋作り体験
要予約で2,500円〜
オリジナルの足袋のオーダーはいつでもOK。

●足袋の街ならではのB級グルメも忘れずに!
 足袋の町・行田には、足袋工場の女工さんたちに愛されたご当地グルメがあります。それが「フライ」。とはいえ揚げ物ではなく、薄いお好み焼きのようなもので、腹持ちが良く、手軽に食べることができます。なぜ「フライ」という名前は、布の産地だったことから「布来(ふらい)」、フライパンで焼くから「フライ」、富よ来いで「富来(ふらい)」などの由来があるそう。大正時代末ごろから食べられ、今も市内に30軒ほどのお店があります。

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私がお話を伺ったお店は、昔ながらの風情満点!お母さんがひとりで切り盛りしてます。
懐かしい雰囲気の店内で、お母さんとお話ししながらいただくフライは、気持ちまで和む優しい味でした。

作り方は、小麦粉を水でといた生地に、細かく切った葱と豚肉(お好みで卵や桜エビなども)を上にのせ、何度もひっくり返しながら鍋ぶたやフライ返しなどでぎゅーっと押し付けて焼いたら出来上がり。とってもシンプルなものですが、素朴で香ばしい味わいが、お手軽おやつにぴったりです。行田散歩のお供にぜひ試しあれ!

(取材・執筆/多田みのり *掲載写真は2011年取材時のものです)

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