京都には深い井戸が幾つもある by 小林禎弘

第9回 ウェスティン都ホテル京都に代表される、東山・蹴上一帯の水ものがたり(京都市)

疏水を利用した初めての施設は、円山公園の噴水です。造園は小川治兵衛です。さらに建都1100年記念事業の第四回内国勧業博覧会会場の噴水、平安神宮神苑の池と、公的施設ばかりに利用されました。余談ですが、平安神宮は勧業博覧会のパビリオンとして造られ、会期終了後の施設利用として神社になったといういきさつがあります。ここも小川治兵衛が作庭した神苑の広大な池は、琵琶湖にブラックバスが現れる前に閉栓されたので、昔の琵琶湖の生態系が残っているといわれています。

平安神宮神苑


静寂の円山公園。ライトアップもなく今年はひっそり

その南にある京都市美術館(現京セラ美術館)の日本庭園の池も、疏水の水が隣の京都市動物園を経て来ています。

そして遠く離れた京都御所にも、蹴上から地下パイプで直接疏水の水が来ていました。随分昔、御所の周りの溝に小魚が泳いでいましたが、これは琵琶湖の魚だったのですね?現在は閉栓されており、地下水を利用しています。御所内の池も地下水なので小魚がいないので、めっきり鳥が来なくなったそうです。

京都御所御池庭

京都市民ですら知る人は少ないと思いますが、明治30年に完成した本願寺水道というのがあります。水源地・蹴上から東本願寺までの4.6㎞を、埋設したベルギー製鉄管を通して防火用水として運んでいます。今の社会事情では到底なしえなかった事業です。この水道はなんと平成20年まで生きていました!

本願寺水道水源地貯水槽

蹴上といえば都ホテル(現・ウェスティン都ホテル京都)です。その開業にも関わったのが疏水の通水なのです。蹴上一帯は東海道の起点三条大橋から1.5㎞で、京の東の玄関口として栄えて大きな茶店や町屋が連なっていたものの、おおむね山林でした。そこに京都が近代都市へと脱皮する先駆けとなった琵琶湖疏水が現れたのです。

明治23年4月9日が疏水通水、その前日に都ホテルの前身である吉水園が京都市内と運河、インクラインを見晴らせる丘陵に遊園地として開園します。風雅な茶席から貸席に展開し、ホテル業に発展していったのです。今もホテルの宴会場から望める葵殿庭園は、小川治兵衛の作庭で疏水からの水が流れています。

 ウェスティン都ホテル京都 小川治兵衛作、葵殿庭園

ウェスティン都ホテル京都 村野藤吾設計、佳水園の築山にも疏水の水が流れる

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