京都には深い井戸が幾つもある by 小林禎弘

第19回 木屋町と先斗町、歩いて楽しむ路地の違い(京都市)

京都の路地といっても、いくつかの形態があります。大通りの間を突き抜けているもの、コの字型のもの、行き止まりで中に広場があり各戸の入口が面しているものなど様々です。

南北に並行して走る木屋町通と先斗町通。木屋町通からの路地は先斗町通まで突き抜けていますが、先斗町通からの路地は行き止まりになっています。つまり、木屋町に面している商家の奥に家はないのですが、先斗町通からの路地の奥には家が2~3戸あり、現在その家屋に人気料理店が何軒もあるのです。

左:通り抜けができる広めの路地 右:通りから東に通じる路地、奥に料理店が見えます

先斗町の路地の特徴は、町屋が旧タイプだということです。新旧の線引きは、1870年の禁門の変、つまり蛤御門の変です。京都は戦乱で何度か焼けています。最も大きいのは室町時代の応仁の乱と思われがちですが、江戸時代末の禁門の変が一番酷く、市街地の2/3が焼けたともいわれています。先斗町は寺町の寺院と高瀬川が防火帯になって類焼から免れて、旧町屋が残っているというわけです。

路地を利用した路地水族館、自由に見られて写真も撮れます。
Googleマップで京都水族館よりも多くいいね!ついたそうです

新旧の違いはどこにあるかといえば、新町屋の路地は家屋の外、隣家との間にあり、旧町屋のは内にあります。つまり京町屋の鰻の寝床の玄関から庭まで続く通り庭が塀で囲まれたような感じで、狭く天井があります。奥に入っていくと、2軒目3軒目の玄関が現れます。現在は主に先斗町通の西に路地がありますが、かつては先斗町通の東にも一本通りがあり、向う路地が何本もありました。

唯一の広場の風景

通り抜け出来る出来ないを見分ける標識を1980年頃当時の京の先斗町会が路地の入口に貼りましたが、その標識は今はかなり減っています。以前の先斗町は電線だらけで、撮影するのに苦労しましたが、先斗町まちづくり協議会が中心となって電線地中化の活動をされ景観がすっきりしました。

左:路地の入口に貼られている標識 右:このような路地は減ってきました

幕末に抗争した武士が、この路地に身を潜めたり待ち伏せしていたそうなので、そんな歴史を味わって通ってみてはいかがでしょう。

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