マイスターと世界遺産の知の旅へ by 山本厚子

第9回 アヤ・ソフィアのモスク回帰が欧米諸国との溝を深める⁉ 東西文明が交わるイスタンブールの歴史地区(トルコ)

ボスポラス海峡を挟み、アジアとヨーロッパが出会う街イスタンブール。ビザンティウム、コンスタンティノープル、イスタンブールと名を変えてきたこの都市には2000年を超える歴史があり、1985年には「イスタンブールの歴史地区」として世界遺産に登録されています。世界遺産に含まれる建造物のなかでも昨年話題となったのが、博物館からイスラム教の礼拝の場・モスクとなった「アヤ・ソフィア」です。

トルコ最大の都市イスタンブール(写真:Pixabay)

現在のアヤ・ソフィアは、537年、ビザンツ帝国ユスティニアス帝がキリスト教の聖堂として創建。1453年にオスマン帝国がコンスタンティノープルを征服するとメフメット2世によって改修され、その後500年にわたってモスクとして利用されてきました。1923年にトルコ共和国が樹立すると、初代大統領ケマル・アタテュルクが近代化・西欧化を推進。その過程で1934年にアヤ・ソフィアはモスクから無宗教の博物館へと姿を変えました。宗教と距離を置き、世俗主義を進める象徴的な出来事でした。

ビザンツ建築の最高傑作と称されるアヤ・ソフィア。
4基のミナレットはオスマン帝国の時代に増設されました(写真:Pixabay)

カリフ制やイスラム法を廃止し、立憲国家となったトルコですが、それでも国民のほとんどがイスラム教徒です。アヤ・ソフィアの世俗化は違法であると一部のイスラム教徒が起こした訴えを2020年7月に裁判所が認めると、かねてより女性のスカーフ着用解禁などイスラム回帰の政策を取ってきたエルドアン大統領は再びモスクへ戻す決定をしました。これには正教会のロシアやギリシャをはじめ、ローマ・カトリック教皇、ヨーロッパ連合(EU)など国際社会から批判や懸念の声が相次ぎました。世俗主義を国是に、EU加盟を目指してきたトルコですが、クルド問題や反イスラム感情などが障害となり、未だ加盟が認められていません。今回の問題が両者の溝を深め、EU加盟もさらに遠のいたかもしれません。

聖堂内にはアラビア語の装飾とキリスト教のモザイク画が共存(写真:Pixabay)

ユネスコも事前協議がないままアヤ・ソフィアの地位を変更したことに遺憾の意を表明しましたが、以前と変わらず、文化遺産として保護されるならすぐに世界遺産から外されることはなさそうです。アヤ・ソフィアでは、現在も観光客の受け入れは続いています。しかも博物館からモスクになったことで入場料は無料になりました。ただし、1日に5回行われるイスラム教徒の礼拝の時間には入場できません。これからアヤ・ソフィアを訪れる際には、事前に見学可能な時間を確認することをおすすめします。

 天井や壁には9~13世紀にかけて製作されたモザイク画が数多く残されています。
これらはオスマン帝国の時代には漆喰で塗りつぶされていました(写真:Pixabay)

 

Tag

このページをSHAREする

最新記事一覧へ