今日も古墳日和 by 多田みのり

第5回 古代の栃木がわかる首長墓〜摩利支天塚古墳・琵琶塚古墳(栃木県・小山市)

【古墳プロフィール】
名  称:摩利支天塚(まりしてんづか)古墳・琵琶塚(びわづか)古墳
古墳の形:共に前方後円墳
時  代:5世紀末〜6世紀前葉
整備状況:整備され、墳丘に登ることができる
展示施設:隣接した「国史跡 摩利支天塚・琵琶塚古墳資料館」で、埴輪などの出土遺物を展示
U R L:https://www.city.oyama.tochigi.jp/soshiki/5/207228.html

全国で古墳が見られるということは、それだけ各地に力を持つ首長がいたということ。今回ご紹介するのは、古代下野国(しもつけのくに)の礎を築いた王が眠る摩利支天塚古墳と琵琶塚古墳です。共に国の史跡に指定された大型前方後円墳です。(現在の栃木県一帯は、しもつけの国と呼ばれ、古墳時代には下毛野、奈良時代には下野と表記されていました)

先に作られたのは、県下第3位の規模を誇る全長約120mの摩利支天塚古墳。この古墳が造られるまで、下毛野の首長墓は県中央の宇都宮周辺に築かれていましたが、5世紀末〜6世紀初頭の摩利支天塚古墳の築造を契機に、思川・姿川・田川流域へと古墳の造営地が移動しました。これ以降、奈良時代になってもこの辺りは重要な地であり続け、下野国庁、下野国分寺・尼寺が置かれ、下野国の中心地となりました。

摩利支天塚古墳全景。前方部は中央が尖った「剣菱形」と言われており、
全国的にも例が少ない形をしています。

後円部からみた前方部。後円部に祀られた摩利支天社の階段を降りたあたりがくびれ部です。

道路を挟んだ北にあるのが6世紀前葉の築造、全長約125mで県下第2位の規模の琵琶塚古墳です。両古墳とも大規模な周濠が巡らされ、円筒埴輪列が出土しています。

琵琶塚古墳全景。2013〜2017年まで発掘調査が行われ、多くの出土品が見つかりました。
春には菜の花に彩られ、地元の方にも親しまれています。

後円部からみた前方部。地形を利用した基壇が設けられているので墳丘に登りやすく、
ハイキングにも最適です。

古墳に隣接して、「国史跡 摩利支天塚・琵琶塚古墳資料館」が2018年にオープンしています。古墳のすぐそばにガイダンス施設があると、理解がぐんと深まりますね。

古墳の目の前にあり、入館料は無料。
多目的ホールでは古墳の模型や導入展示の解説映像も見られます。

摩利支天塚・琵琶塚古墳および周辺の古墳から出土した埴輪や武器、馬具、装飾品など、
被葬者像を印象付ける出土品を展示・解説しています。

摩利支天塚・琵琶塚古墳に葬られた首長の子孫が、「天下の三戒壇」のひとつがある下野薬師寺の建立に尽力した下毛野古麻呂(しもつけの の こまろ)だとも言われています。脈々と続いた下毛野と下野の歴史探訪をぜひ楽しんでみてください。

★アケスケ・チェック★

最寄駅の小金井駅からはタクシー利用がおすすめ。駅まわりのコンビニエンスストアなどでお弁当調達は忘れずに。レンタカーを借りて、周辺の古墳などを巡るのもおすすめです。

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