ひとり旅にアート心も入れて by 塩見有紀子

東日本大震災復興支援ボランティアツアーに参加してきました

東京の桜が満開を迎えた、4月7、8日の週末、「東日本大震災復興サポートツアー」にプライベートで参加してきました。これは、被災地でのボラン
ティア活動と東北観光がセットになったボランティアツアーです。東京や東北の旅行会社、大手旅行会社が主催するなど、さまざまな面で東北の復興をサポート
する目的で企画されています。

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昨年の震災以来、東北へは観光や取材で訪れていましたが、被災地へ行くのは初めてです。行きたい、行かなければ、実際に目にしなければという思いを抱きつつ、1年以上経ってようやく足を運ぶ機会を作ることができました。

実際に足を踏み入れると、まだ復興には長い時間が必要だと実感しました。機会があれば、皆さまにも訪れていただきたいと思い、レポというかたちでボランティアツアーについて書かせていただきます。
今回参加したのは、昨夏以来、何度もボランティアツアーを主催している、東京の旅行会社「ベルプラニング」のツアーです。添乗員も全行程同行のツアーです。

初めての被災地訪問


回のツアーの目的地は岩手県の陸前高田市。新宿を深夜に出発するツアーバスで向かいます。集合場所に行くと、40名ほどの参加者が集まっていました。男女
ペアや女性同士などさまざまな人たちがいます。私と同じく、女性1人参加の方の姿も。岩手県へ向かう途中のSAで何度か休憩を取り、岩手県内の道の駅にて
ボランティア活動をする服装に着替えます。長そで、長ズボンなどの汚れてもよい服装、釘踏み抜き防止用の安全中敷が入った長靴は必須です。


速バスは気仙沼市内を抜けて陸前高田に向かいます。気仙沼市内では、津波によってJR大船渡線の鹿折唐桑駅前に乗り上げた、全長約60メートルもの漁船
「第18共徳丸」はいまだに道路脇に打ち上げられたまま。活動場所の拠点となる陸前高田ボランティアセンターへ向かう途中には、復興のシンボルでもある
「奇跡の一本松」が車中から遠くに見えます。

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車窓より、奇跡の一本松

200名を超えるボランティアに感動

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時頃に陸前高田ボランティアセンターに到着。各地から集まった個人、団体のボランティアが、この日は200名以上にもなったそうです。その日に行う作業
は、当日にならないとわかりません。被災地のニーズと人数のバランスをみながら、ボランティアセンターがマッチングするとのこと。私たち40名ほどの団体
は人海戦術となる、道路脇の側溝の泥かき作業に決定。これは、住民の方から市役所を介してボランティアセンターに依頼があった作業とのこと。土で埋もれた
側溝をそのまま放置すると、雨が降った際などは道路まで水があふれだし、通行が困難になるそうです。

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左)
プレハブ小屋のような簡単なボランティアセンター。ただし機能性はバッチリ 右上)集合時間に合わせてボランティアがぞくぞくと集まる 右中)ショベルや
ツルハシ、運搬用一輪車などは作業内容に合わせての貸出制 右下)ボランティアを行う際の注意事項とボランティアのシールワッペン。「依頼者の気持ちを考
えて行動すること」が最重要の注意点

全体ミーティングの後、作業現場へツアーバスで向かいま
す。ただ、作業現場へ向かう際も、車窓に広がる光景には言葉が出ません。かつて住宅街であった場所が、見渡す限りの更地。バスを降りると、遠く重機が作業
する音が聞こえます。住宅や建物など音をさえぎるものがないので、重機の姿が見えなくてもここまで作業音が響いてくるのでしょう。

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左上)3mほどの線路を残すだけのJR大船渡線 右上)踏切は根こそぎ 下)真新しい電柱と、遠くの鉄筋コンクリートの建物。ただし、残存する建物も2〜4階まで浸水し壊滅状態。近くにあった道の駅も同様

作業前の注意事項として、通帳や現金、キャッシュカード、人物が判明できるような写真、さらには骨が見つかった場合は知らせてくださいという注意点が添乗員さんより述べられました。自分が作業する場所、作業する意味をあらためて考えさせられた瞬間でした。

側溝の泥かき作業は予想以上に重労働だった!


度もボランティア活動を実施されている添乗員さんの的確な指示の元、全員で作業を始めます。砂や土をかぶっているために側溝の場所が正確にどこにあるかわ
からないまま開始しますが、女性陣は場所の見当をつけて砂を払
い、次に男性陣は側溝の重いフタを持ち上げます。フタを開けると、深さ50センチほどの側溝が土でパンパンに埋まっています。それをひたすらショベルで
掻き出し、土嚢袋に入れていくという作業。

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左上)砂や土ですっかり埋もれた側溝 右上)フタを持ち上げると、パンパンに埋まった土が 左下)ひたすら泥土をかきだす 下中)すっかりきれいになりました! 右下)掻き出した土は土嚢袋に

ショ
ベルで掻き出せば掻き出すほど、下に貯まった土は水分を含んで重く、さらに底辺部分はガチガチに固まり、さ
らに重い泥となっているのです。5分も続けて作業をすると体中が痛く、腕が動かなくなるほどの重労働です。ただ、作業をし続けると、初めて会った参加者同
士でもお互いに声をか
けあい、交替も自然とスムーズに行われていきます。途中、強風や雪が降るような寒い冬の日でしたが、協力し合いながら作業をすると、男性も女性も年齢も関
係なく、参加者全員の気持ちが自然とまと
まっていくのがわかります。途中、休憩や昼食を取りながら、2時頃まで作業を続けました。約40人での作業で約30メートルほどの側溝の泥を取り除くこと
ができ ました。心地よい疲労と達成感でみんな笑顔です。

手を合わせて祈ることしかできない


業終了後、陸前高田ボランティアセンターへ戻る前、今回特別に、多くの犠牲者が出た陸前高田市の市役所と市民会館へ立ち寄りました。建物まわりのガレキは
ほぼすべて撤去されていましたが、建物の中はあの日のまま。窓ガラスは割れ、中はガレキが残り、押しつぶされ黒こげになった乗用車が1階フロアに横たわっ
たままでした。「捜索終了」と書かれた紙、「立入禁止」の看板を前にして、祭壇に手を合わせることしかできません。

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上)市役所近くのスーパーマーケット「マイヤ」は津波で浸水したが、ふだんからの避難訓練により、屋上に避難した従業員らなど犠牲者は1人も出なかった 左下)市役所1階には黒こげの乗用車が 右下)崩れ落ちた堤防

ボランティアセンターに戻り、借りた用具の清掃、うがいや手洗いなどを行います。陸前高田のボランティアセンターは指示系統もしっかりしており、スムーズにボランティアが行えるよう、相当に機能的に運営されていると感じました。

良質の温泉で疲れた体をほぐす


スで2時間ほど移動して宮城県鳴子温泉へ。今夜の宿は鳴子温泉の温泉旅館。約3時間強の泥かき作業で体中が痛く、凝り固まった体が、あたたかな温泉でほぐ
れていくようでした。宴会場でおいしい会席料理をいただき、有志は1つの客室に集まって2次会、3次会へ。参加者同士の懇親をはかります。参加者は東京だ
けでなく、関西方面からいらした方や外国人留学生、中学生らしき親子3人で参加されている方などさまざま。そして、ほぼ90%の方が被災地訪問は初めて。
昨年以来何かしなければという焦燥感を持ちつつ、今回ようやく参加できたという充実感に、皆さん満ちあふれているようでした。

あまりに広い範囲の被災現場に言葉をなくす


日は、宮城県の石巻へ。石巻観光協会ボランティアガイドの方に案内していただきながら、石巻市内や被害の多かった沿岸部をバスで移動しながらの視察。市街
地も津波の爪痕は強く残っています。そして、沿岸部にあった大手製紙会社の近くには廃棄処分になるだけの膨大な紙や木工チップの山が。震災後、紙が足りな
く、雑誌やガイドブックの発売延期が懸念されていたことを思い出します。他のエリアも廃車や木材などガレキの山、山、山。

「ガレキはゴミではないのです。かつては住宅だったもの、生活用具だったものなのです」。添乗員さんの言葉が頭をよぎりました。人々の毎日を支える大切なものが、たった一瞬にして無惨な哀しい姿に変わってしまったのです。

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して、門脇小学校へ向かいます。ここは昨年末の紅白歌合戦で長渕剛が歌った場所としても知られています。生徒らは無事だったようですが、小学校に避難して
きた方々を津波が襲い、津波の衝撃で車が発火し、火のついたガレキにも襲われ、校舎に引火したそうです。消火作業にあたったというボランティアガイドの方
の話によると、8mほどの津波に襲われ、避難してきた方々など55名がこの場所で亡くなり、火災は実に5日間続いたそうです。もちろん消防も何もしなかっ
たわけではなく、道がガレキでふさがれ火災場所に到達することができなかったり、消防車が流されてしまったため、消火活動ができなかったそうです。

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上)黒く焼けこげた門脇小学校 左下)机や什器が散乱した職員室らしき部屋 右下)割れたガラス窓もそのままの状態


舎入口の花がたむけられた場所には、住民らしき親子が手を合わせていました。校舎のすぐ近くで、校舎の中をのぞきこんでいると、「あまり校舎に近寄りすぎ
ると、上から外壁がはがれ落ちてきたり、割れたガラス窓が落ちてくることがありますので注意してください」と声をかけてくださいました。こちらの親子のご
家族、ご親戚、ご友人たち、皆さんは無事だったのだろうかと思いつつ、「ありがとうございます」とお礼を申し上げることしかできませんでした。小学校周辺
も鉄筋コンクリートの頑丈な建物を残すだけで、目に見える範囲すべての住宅地が丸ごと消えています。

観光協会や売店を併設する観光案内

はJR石巻駅前にあります。駅前も震災後は、まるで池になったかのように水が溜まった状態だったそうです。今では駅前はすっかりきれいになり、仙石線や石
巻線は一部で運行が行われています。残念ながら、石ノ森章太郎の『石ノ森萬画館』は被災し休館中ですが、復興商店街「ホット横町石巻」が新しく建つなど復
興に向かって一歩ずつ前に進んでいます。

観光することも、復興の手助けに


程の最後は、日本三景のひとつである「松島」観光。深い入江である松島は震災の影響をほとんど受けなかった場所です。2時間の自由時間が設けられており、
各々で昼食をとった後、希望者は松島湾巡りの遊覧船へ。約25分ほどの海の散歩ですが、島を見ることを忘れるほどカモメの餌付けに夢中! ボランティア活
動や被災地視察で、さまざまな想いを抱えたままなので、最後の松島観光はみなさん、あふれんばかりの笑顔です。もちろん私自身も。週末だったこともあり、
松島も観光客で大いににぎわいを見せていました。

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すべての行程が終了し、一路、高速バスで新宿へ戻ります。幸いほぼ渋滞もなく、当初の予定通り夜8時過ぎには新宿に到着し、それぞれ連絡先をかわしながら解散してボランティアツアーは終了です。


災から一年以上も経ってようやく訪れた被災地。体を使ったボランティアなどほぼ行ったことがない私でしたが、「百聞は一見にしかず」。復興への道のりはま
だ遠く、ボランティアの手作業によってしかできないような仕事はまだまだたくさんあると実感しました。今回参加したツアーは観光とのセットになっているも
のですし、5分の3ほどは女性参加者だったように見えました。

軽い気持ちで行っていいものではありませんが、「何かをしたい」と思っている方にとっては気軽に参加できるものではないかと思います。私自身も機会を見つけて、また参加しようと思っています。

(執筆:塩見有紀子)

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