寺泊温泉をご存知の方はあまり多くないかもしれません。長い海岸線を持つ新潟県のほぼ中央あたり、海岸線から1㎞ほど奥へと入った、ゆるやかな谷間に湧く静かな温泉地です。
一軒宿の北新館は2階建ての小さな宿。温泉は大正11年、日本石油が石油掘削の際に掘り当てました。その後、長岡鉄道に売却されましたが戦時中に閉鎖。現・経営者の右近さんのご先祖さまが「北新館」を開業したのは昭和23年。温泉が開かれて今年で103年、宿が開業して78年になります。
心惹かれた温泉タンク。ガスが多量に含まれているのでガス抜きをしてから浴槽へ
こちらのお宿を守っているのは女性3名。社長の右近さんと、宿が実家で義妹の藤田さん、それから右近さんの娘さんです。右近さんは嫁いできた方ですが、幼い頃からこの宿を実家のようにして過ごしてきたのだそうで、藤田さんとも実の姉妹のように和気あいあいとしたムードです。
取材中も笑い声が飛び交いましたが、お話を聞くと、30代でご主人を亡くされ、幾多の自然災害を経て「底の底まで落ちてしまったので、もう開き直ってやっていこう」と意を決しての明るさだとのこと。ですが、お三方のお人柄ゆえでしょうか、館内にはほんわりとしたムードが漂っています。フロントやロビー、浴場や一部客室には、昭和的な古さを残してはいますが、その世代ゆえか、逆に居心地よく感じられました。
社長の右近さん(写真中央)は料理長も兼ねています。
藤田さんと娘さんは広報接客そのほかを担当し、ナイスなチームワーク
3人のお話を聞いていると、不思議に「何かできることがあればお手伝いしたいなあ」と思えてきます。真面目に正直に、手探りしながら宿を運営している様子が伝わってくるからでしょうか。そんな風に感じる人たち数名が、現在、ほぼ手弁当で北新館を支えています。「こんなに支えてもらって感謝しかありません。なので自分たちも頑張らないと」と右近さん。
特に料理は、外部の一流料理人からの指導を受けながら大きく変わりつつあります。シグニチャーになりつつある前菜の蟹のクロケッタは、アーモンドの香りと歯ごたえが素晴らしくたっぷりの蟹の身にもよく合います。デザートの抹茶のムースもフルーツや焼き菓子などを美しく盛り付け、目でも楽しめます。何より蟹の味や、抹茶の味が濃く、良い素材を使っていることが伝わってきます。どの品々も手抜きのないおいしい品々でした。
夕食の前菜とサラダとデザートと朝食。
地元コシヒカリのゴハンはもちろん朝ごはんの手作りかぼちゃサラダも美味!
温泉浴室は2カ所あり男女交替。それぞれに2種類の異なる泉質の温泉が各浴槽に注がれています。大正時代に湧いたお湯は通称「金の湯」。赤くにごった含よう素―強食塩泉で成分総計は19.6g。濃いお湯ですが、入浴感はなめらかで、浴後も塩泉にありがちなベタつく感じがありません。泉温33℃なので加温したお湯を加えつつかけ流し。温泉好きにはたまらない油の匂いが漂っており、塩素の匂いはあまり気になりませんでした。
そしてもう1本、宿の裏側の傾斜から湧く、ナトリウムー塩化物・炭酸水素塩泉、通称「銀の湯」。泉温14.8℃、金の湯の15分の1の成分量で循環加温しています。こちらは少し熱めに加温しており、ぬるめの金の湯と交互浴するのもおすすめです。いずれも弱アルカリ性で自噴、金の湯は自然流下で浴槽まで注がれています。
通常和室(左)とリニューアルした和洋室。温泉浴室付きの特別室もあり
正直、これほど個性的なお湯と素晴らしい料理がいただけるとは思っていませんでした。客室タイプを選ばなければ、1泊2食1万7200円(消費税・入湯税込)〜、朝食なしの場合は1000円引。料理とお湯の質を考えるとお手頃だなと感じました。「先祖が残してくれた宿とお湯をできるだけ守っていきたい」と、温かく丁寧にもてなしてくれるご家族の宿。常連さんが「しばらく経つとまた行きたくなる」と話していたのも納得です。
寺泊温泉 北新館 ℡:0258-75-2172
https://hokushinkan.com