京都には深い井戸が幾つもある by 小林禎弘

第53回 自転車で巡る京都名所案内(京都市)

血糖値が高いのです!元々境界線だったのですが、この半年で超えてきました。原因のひとつは運動不足。そこで自分にむち打ち再開したのが自転車です。気に入ったコースを紹介します。

コースは、烏丸今出川から西へ嵐山までの往復22Kmです。今出川通を嵐電北野白梅町まで、さらに妙心寺北門を通り過ぎ仁和寺までで10分、少し行くと福王子の交差点があり、過ぎると上り下りの峠です。御室川に架かる橋まで一気に下り、そこから宇多野病院まで登り、あとは広沢の池手前の山越交差点まで長い下り坂があります。行きはスピードに乗って気持ちいいですが、帰りはうんざりします。

山越えの交差点を抜けて広沢ノ池あたりがトップスピードで42Km/hくらい出ます。広沢ノ池~嵯峨野~愛宕街道の古い街並みを抜けると嵯峨豆腐で有名な森嘉、そのすぐ隣が清凉寺(通称嵯峨釈迦堂)です。直角に南へ下がり丸太町通、JR嵯峨野線を渡ると嵐山の街並みに入ります。天龍寺を通り過ぎると渡月橋に着きます。

少し保津川沿いを走り、嵐山吉兆の前をUターンして渡月橋を渡ります。細い道をもう少し行くと阪急嵐山駅に到着します。ここで折り返して帰路につきます。

いつも夜遅く周りを気にせず必死に走っているのですが、このコース上にはいくつもの寄るべきポイントがあります。夕方出発して撮影しながら走りました。まずは堀川今出川東の白峯神宮です。

上:白峯神宮正面門とその奥に右近の橘・左近の桜を望む鞠庭
下:様々な球技のボールが奉納。蹴鞠の碑の端にある撫で鞠をくるくる回す

明治元年、明治天皇によって建立され、祭神は第75代崇徳天皇と第47代淳仁天皇です。蹴鞠の宗家飛鳥井家の邸宅跡だったゆえんで現在も伝統を引き継ぎ蹴鞠奉納が行われ、サッカーをはじめ球技の神社として有名です。飛鳥井という名水の井戸もあります。

堀川今出川北西角は鶴屋吉信本店で、中村外二氏のデザインによる店内や京都の和空間の茶屋と茶室、職人の和菓子作りの見学などができます。少し行くと京都市考古資料館があり入口横に「西陣」の大きな石碑があります。これはこの建物が元西陣織会館だった名残です。埋蔵文化財など貴重な展示物が見られます。入場無料です。

斜め西向かいには和菓子本家玉壽軒があり、大徳寺納豆を包んだ「紫野」が有名です。

左から鶴屋吉信本店、京都市考古資料館、本家玉壽軒

上七軒の交差点を過ぎると北野天満宮です。祭神はご存じ菅原道真公(菅公)で、菅公が亡くなって1125年目の今年は半萬燈祭が行われていて夕方遅いのに多くの人出がありました。

北野天満宮参道と楼門、七夕とは異なる半萬燈祭の飾り付け

妙心寺は日本最大級の禅寺で、今年の「そうだ、京都行こう。」に塔頭の天球院が取り上げられています。その先の仁和寺は888(仁和4)59代宇多天皇によって建立、その後住職になられ日本で最初の門跡寺院になりました。五重塔との写真で有名な、背の低い御室桜は京都で最も遅く咲きます。

左:妙心寺北門、右:仁和寺二王門

広沢ノ池は観月で有名ですが、五山の送り火の「鳥居形」の鑑賞地でもあり精霊流しと送り火が幻想的です。

広沢ノ池で日没、愛車SCOTTO SOLACE越しに見る
広沢ノ池と遍照寺山、五山の送り火の鳥居形と精霊流し

池の西から入る千代の古道を行くと、古墳が点在する嵯峨野を堪能できます。近くに大覚寺と大沢の池もあります。清凉寺(通称嵯峨釈迦堂)はもともと源氏物語・光源氏のモデルとされた源融の別荘があった地とされ、宋に修行に行っていた奝然(ちょうねん)が、現地の仏師に作らせ持ち帰った国宝釈迦如来立像が本尊です。

左:嵯峨豆腐森嘉、深夜から作業が始まる。右:清凉寺仁王門

渡月橋の歴史は右岸にある法輪寺の道昌法師が平安期の836年に架橋したのが始まりとされていますが、奈良時代に架けられていた可能性を指摘されています。ともあれ昼間より断然人が少なくライトアップされた渡月橋がお勧めです。

左上:夕暮れに浮かぶ天龍寺大方丈、右上:嵐山吉兆の門構え、下:渡月橋の薄暮は美しい

阪急嵐山駅から中の島へ100mに「風風の湯」という天然日帰り温泉もあります。

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