以前の記事で、京都市のど真ん中に京都御苑と呼ばれる広大な市民公園や国民的公園があることを書きました。
京都御苑は京都御所や仙洞御所、大宮御所を取り囲む公家屋敷街でしたが、明治天皇の東京遷幸に付き従い、公家たちも東京に移り住み、御所の周りは荒廃しきったので明治天皇の命により屋敷を取り壊し、公園化したのが現在の姿です。ちなみに公家の中で唯一京都に残ったのが冷泉家と言われています。御苑の中には様々な残った物や後から作られたものがあります。
京都御苑内には御所はもちろん、明治天皇生誕の屋敷や学習院跡、九條家のゲストハウス拾翠亭、閑院宮邸跡、グラウンド、テニスコート、2005年に開館した京都迎賓館などがあります。
そして今回ご紹介するのは、東京に行きそびれたのか御苑の中に残された3つの神社です。不思議なことに3つとも南西の方向に集まっています。
一番北にあるのが白雲神社です。烏丸通の出水口から東へ150mくらいのところにあります。うっそうとした林の中にあり、入口にある赤い幟がなければ見過ごしてしまいそうです。
旧西園寺家の鎮守社で、1224年に西園寺公経が現在の金閣寺に当たる場所に妙音堂として建立したのが始まりで、1769年に西園寺邸とともに御苑内に移ってきました。祭神は妙音弁財天と称する市杵島姫命で、西園寺家が琵琶を家職にしていたことから音楽の神として祀られてきました。明治以降西園寺家が東京に移ったので、1878年に白雲神社となりました。例えが正しいのか分かりませんが、会社の敷地内にある祠が、会社が移転したのに残り、神社として独立したようなものでしょうか?
本殿の裏に「御所のへそ石」と呼ばれる磐座、薬師石があります。前面は人面に見えるような凸凹あるようですが、私にはわかりませんでした。西園寺家が作った私塾が立命館で、白雲神社のすぐ北が西園寺邸跡で同じ敷地が立命館設立の地です。
白雲神社を100mほど下がると宗像神社があります。築地塀に囲まれているのですぐ見つけられます。創建は795年で、桓武天皇の命によって太政大臣・藤原冬嗣が、福岡県の宗像神社を勧請したのが始まりとされています。794年が平安建都ですから、現在まで京都と同じ歴史を刻んできました。主祭神は宗像三女神である多紀理比売命・多岐津比売命・市岐嶋比売命です。
宗像神社本殿、奥にはクスノキの巨木の森が広がる。立ち入り不可
境内には昭和44年創建の京都観光神社などもあります。こちらの祭神は猿田彦大神です。広くない境内には多種多様の植物があり、元左近の桜とか樹齢400年の大クスノキが有名です。また新聞に紹介されて一躍有名になったのが、4月~10月にかけてやってくるフクロウの仲間であるアオバズクです。体長30㎝くらいでクスノキのウロに営巣するそうです。アオバズクを目当てに来られる方も多いです。
3つ目は西南角の九條池の畔にある厳島神社です。前号の拾翠亭の記事(https://www.tabikoi.com/kobayashi46/)にも出てきますが、ここの厳島神社は九條家の鎮守社です。現在は烏丸通下立売下るにある菅原院天満宮神社が管理しています。平清盛が安芸守になり宮島の厳島神社を厚く信仰し、摂津の国兵庫港に築島を造営した折に社殿を構え厳島社を迎い入れ、市杵島姫命・田心姫命・湍津姫命を主神に、清盛の母である祇園女御を配祀したのが起源とされています。1771年に九條道前が邸内である現在の九條池、中島に遷座させました。「池の弁天さん」の名で親しまれています。
境内には様々な植物が見られる厳島神社本殿から鳥居越しに九條池を見る
清盛建立とされる笠木を唐破風型にした石鳥居は、蚕ノ社の三柱鳥居、北野天満宮境内社の伴氏社の石造鳥居と合わせた京都三珍鳥居のひとつです。昭和13年に重要美術品に認定されています。鳥居をくぐって5歩で本殿というコンパクトさがユニークです。