京都には深い井戸が幾つもある by 小林禎弘

第11回 風葬?霊地?いえいえ、船岡山は地層好きにはたまらない場所でもあるのです 後編(京都市)

平安京建都における船岡山の役割について前編で書きましたが、その後の変遷です。

お狐稲荷社あたりの山道から見る船岡山全景(西から東を見る) 

平安京が荒んでくると、船岡山は葬送の地になっていきます。清水寺近くの鳥辺野、嵯峨の化野、船岡山の北西の蓮台野が京都三大風葬の地でした。(野が付く地名の多くは葬送の地だったらしい) ただし船岡山は高貴な人の火葬の地で、葬送の行列の道に卒塔婆がずらっと並んだのが千本通の名の由来らしいです。平安後期の保元の乱で勝った後白河天皇に味方した源義朝が、敵方の崇徳上皇についた父為義や兄弟を船岡山で無残にも処刑したり、室町時代の応仁の乱では西軍の砦である船岡山城にいわゆる西陣が敷かれ、激戦の地になったりと、結構血塗られていました。

桃山時代になると、大徳寺と関係が深かった織田信長、信忠父子を、豊臣秀吉が船岡山に祀ろうとしたが叶わず、なんと明治2年になって明治天皇がその功績を認めて、信長公を祭神として建てられたのが建勲神社です。江戸時代は信長の霊地として保護されてきました。

岩を巡る西側の登山道、右下は東側の建勲神社石段、左上は各所で見られる地層

さて、面白いのは昭和10年に船岡山公園として整備されたときに造られた構造物が使われないまま残っていることです。山頂にあるサイレン塔は、正午の時報や空襲警報をサイレンで知らせていました。しかしこれが何で、なんとためにあるのかずっと謎でした。ほかにはラジオ塔、これはラジオが普及するまでの街頭ラジオでした。国旗掲揚台、噴水跡、灯篭型の街灯など、無機質で装飾されてないものがひっそりと無造作に点在しています。

壁泉らしき構造物と両脇の石段、上ると野外ステージがあります。右下は麓にある噴水跡

三角点にあるサイレン塔、円筒は空洞で下部は機械室。左上はラジオ塔、右下は旗掲揚台

京都はもともと海であったところが隆起し、そこからさらに隆起して船岡山が出来ました。微生物が堆積して固められたチャートが多く残っており、船岡山はそのチャートでできた岩山です。山頂にも大きく露出した岩塊があり、磐座だとの説があるのですが、文献などは残っていません。いわゆる岩石信仰の対象ではないようで、現に簡単に触れて登れます。断層や地層、岩盤が数多く露出しているので、そちらがお好きな方は萌えるかもしれません。

山頂付近の岩塊、右下は頂上広場に露出した部分と灯篭型の街灯

山頂広場は大文字送り火のビューポイントで、左大文字は真横間近に見える。

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