トコトコ東北 by 川崎久子

第24回 郡山歴史さんぽ[前編] 駅からてくてく、日本遺産のストーリーを追いかけて(福島県・郡山市)

江戸時代、宿場町だった郡山は、会津や磐城への交通の要衝として栄えていた一方、周囲は不毛の原野で、この地に水を引くことは長年の悲願でした。明治時代に入り、新政府により近代化政策が押し進められるなか、安積地方の原野に猪苗代湖から水を引く計画が持ち上がります。そのストーリーが、『未来を拓いた「一本の水路」-大久保利通“最期の夢”と開拓者の軌跡 郡山・猪苗代-』として日本遺産に登録されており、郡山駅周辺でも日本遺産の構成文化財を巡る街歩きを楽しめます。

駅から徒歩10分ほど、金透(きんとう)小学校の敷地内に立つ金透記念館は、明治91876)年建造の校舎の一部を復元したもの。明治天皇が東北巡幸の際に休憩所となった場所で、随行していた木戸孝允が“金透学黌”と名付けてくれたました。

この明治天皇の巡幸に先立ち東北を視察していた大久保利通は、郡山における福島県と地元豪商協同の開拓事業を、官民一体となった殖産興業の理想モデルであると考えました。

金透記念館の開館は木曜のみで、見学は要事前予約。

大久保利通の後押しもあり、明治121879)年に安積疏水の工事がスタート。奥羽山脈を貫く大工事ながら、当時の先端技術と多くの寸志夫(ボランティア)が集まり、3年の歳月を経て疏水が完成しました。

記念館から徒歩7分の場所にある麓山(はやま)公園は、文政81825)年に郡山が宿場町になったことを祝して造園され、往時は「共楽園」と呼ばれていました。この公園内にある「安積疏水麓山の飛瀑」は、明治151882)年に安積疏水が完成した際に造られたもの。疏水が完成した折には、この地に数万人が集まって通水を盛大に祝ったのだとか。訪れた日は、残念ながら水が止まっていたのですが、通常時は水が石積みの水路を通り、滝となって落ちる様を見ることができます。

麓山公園の一画、高く積まれた石積みに挟まれて滝があります。

麓山公園のほど近く、郡山市公会堂も日本遺産の構成文化財で、郡山の市政施行を記念して大正131924)年に建てられました。ネオ・ルネサンス様式の瀟洒な建物は、高さ約22mある塔や半円アーチが連なる柱廊がシンボリック。戦後、郡山市では戦災からの復興を目指すなかで音楽が盛んになりました。大正ロマン薫るこの公会堂は、“楽都”にふさわしい佇まいを見せてくれます。

郡山市公会堂はオランダ・ハーグの「平和宮」などを参考にして建築されたといわれています。

市松模様のタイルがモダンな雰囲気の回廊。国の有形文化財に登録されています。

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