「やさしい温泉」人、動物、地球にも! by 西村理恵

第41回 湯守観音祭が教えてくれる穏やかで平和な温泉の役割 (台湾・台北市)

台北市の文化財でもある「北投普濟寺」。こちらのご本尊が湯守観音

温泉地ってどんな場所なんだろう。長く温泉に関わってきたなかで考えてきたテーマのひとつです。台湾北部に位置する北投は、そんな問いに大きなヒントを与えてくれた温泉地です。歴史をひもとくと、日本が温泉開発に深く関わってきたことが分かります。

北投温泉が開かれたのは今からおよそ130年前。民間の日本人によって温泉旅館が建てられ、保養地・観光地としての歴史がはじまりました。その10年後の1905(明治38)年、温泉街に湯守観音が安置され、開眼供養が行われます。台湾温泉宿の嚆矢(こうし)となった「天狗庵」主人の平田源吾が発願し、台湾総督府鉄道部の名物課長・村上彰一が、士林にある石工に作らせて北投温泉まで鉄道にのせて運んできました。

日治時代からの共同湯「滝の湯」は今も現役

当時、台湾は日本が統治していましたが、観音様の元、台湾人も日本人も一緒になり、にぎやかに湯守観音祭が行われていました。戦後、日治時代の建造物が失われていく中で、湯守観音の行方は分からなくなってしまいます。「壊されてしまったのではないか」といった声も囁かれる中、観音様は台湾の人たちの手でひっそりと守られてきたのです。

私がはじめて湯守観音と対面したのが2017年1月。北投温泉の坂の上、普済寺(旧・鉄真院)の本堂奥に隠れていらした観音様におまいりできた時の感動は、生涯忘れられないだろうと思います。その後、年に1度だけ一般拝観が行われましたが、現在はよほどのことがない限り拝観は行われていません。

2020年からは長く途絶えてきた「湯守観音祭」が、社団法人台湾芸起公益協会と北投普済寺の主宰で行われることとなりました。20244月、祭り見物に出かけてきましたが、街の人たちが連を組んで、市街地を練り歩く様子を見ていると、古い文献に書かれていた「湯守観音祭」が、眼の前で繰り広げられているようで、いたく感動してしまいました。

和服姿で踊る女性たちや、ときの声をあげながら歩く甲冑姿の男性たちなど、日本文化を取り入れた連もあってこれも嬉しい驚きでした。

 2024年の湯守観音祭。
街を巡り七星公園に安置された湯守観音像(レプリカ)にお参りする和服姿の参加者

 鮮やかな色合いの獅子も登場

2025年は湯守観音が安置されて120年。記念すべき年に、日本から初めて大分県中津市のチームと石川県の舞踏団が参加をします。これも平和であればこそ。湯守観音がお隠れになっていた頃の北投は、公娼制度や戒厳令が敷かれており、あまり良い時期ではありませんでした。ですが今は、のんびりと温泉を楽しんだり公園で過ごしたりと、温泉地ならではの穏やかな時間が流れています。訪れる人たちが幸せを感じられる場所、それが温泉地なんだなと、北投を訪れ湯守観音におまいりするたびに改めて思います。

温泉地の素晴らしさを教えてくれる北投温泉、日本からもそう遠くはないので一度出かけてみてくださいね。

 来年もまた湯守観音祭が開催されますように

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