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 世界遺産への旅Vol.24 ドゥッガの考古遺跡(チュニジア)

令和最初の年末年始に北アフリカにあるチュニジアを訪れました。アルジェリアとリビアに挟まれ、面積は日本の5分の2程度しかない小さな国です。現在住民のほとんどがイスラム教徒というアラブの国ですが、アラブ化する以前の歴史をたどるとベルベル系原住民のヌミディア王国、フェニキア人、古代ローマ、ヴァンダル族(ゲルマン民族のひとつ)、ビザンチン帝国などと多種多様な民族がこの地を支配し、歴史を紡いできました。地中海に面した立地は、海上交易の利権を争うことになるうえ、異民族も侵入しやすかったのでしょう。また「アフリカ」と聞くと、砂漠、乾燥、暑いなどとイメージされる日本人の方が多いようですが、チュニジア北部はとても緑が多く、現在でも大麦、小麦、オリーブ、たくさんの野菜や果実などの栽培が盛んです。古代においてもそれは変わらず、穀倉地帯として発展していたので、それが狙われたのかもしれません。
さまざまな民族が交差した地だからこそ、チュニジアにはフェニキアや古代ローマなどの遺跡がたくさん残されており、世界文化遺産へも7件登録されています。(ちなみに自然遺産は1件のみ。)今回はその中から古代ローマ時代の建造物が残る「ドゥッガの考古遺跡」をご紹介します。

古代都市が息づくドゥッガ遺跡

首都チュニスの南西約106kmに位置するドゥッガは、1997年に世界遺産登録されました。古代においては「トゥッガ」と呼ばれていたこの地に、紀元前2000年頃ヌミディア人が住みはじめ、ヌミディア王国の重要な都市のひとつになったと考えられています。カルタゴ(フェニキア人の都市国家で、同じく世界遺産)の影響を強く受け、前1世紀にはローマ領となり、2~4世紀に繁栄を極めます。当時、1万人の人口があったと言われています。ヌミディア人の都市を基盤に、フォルム(広場)、キャピトル、劇場、神殿、貯水池、公衆浴場など数多くの建造物が造られました。ビザンチン帝国下で要塞化されましたが、その後、この地に町が築かれることはなく保存状態のよいままで残されたことから、古代ローマの栄華を今に伝えています。

チケット売り場を入って右側に見えるのが劇場です。当時3500人を収容できたそう。現在も夏にクラシック音楽のフェスティバルが開催されています。ステージに立って手を打ってみると、とても響いて聞こえました。どうしてそのように聞こえるのか仕組みまではわからなかったのですが、はるか昔の人々の技術に驚かされました。観客席も1等、2等、3等などと分かれていたそうで、写真でも前方の仕切りが見えると思いますが、それより前が1等だったそうです。

 

劇場の前を通り過ぎていくと、ドゥッガのシンボル的存在、キャピトルが見えてきます。キャピトルとは、ユピテル、ユノー、ミネルヴァのギリシャ神話の3神を祀った神殿です。遺構内の道も石畳となっていて、きちんと舗装されているのがわかります。

 

キャピトルの手前に広がるのは、風の広場と呼ばれる場所。広場の一角に12種類の風の名前が彫られていたことに由来します。広場の北側には180~190年に建てられたマーキュリー神殿跡も見られました。

風の広場の南側には、市場跡が広がります。

そして風の広場の東側にキャピトルが建ちます。正面から見ると、階段の上の6本のコリント式の円柱が印象的。柱には縦の溝彫りがあり、柱頭には葉飾りのような複雑な彫刻が見られます。かつて内部には6mにも及ぶジュピター像が安置されていたそうです。

 

ペディメント(正面上部の山型の部分)にはワシのレリーフがありますが、これはマルクス・アウレリウスとルキウス・ウェルスの2人のローマ皇帝の力を象徴したものでした。

 

古代ローマの都市建築の特徴は、フォルムと呼ばれる広場を中心に、それを囲むように建物が並びます。ドゥッガでもキャピトルの隣にはフォルムが広がっていました。35本の円柱があったそうですが、現在では想像するしかありません。一部柱の彫刻が残っているものも見られます。540年にはビザンチン帝国により要塞化されました。

 

ドゥッガの遺跡は571mの丘の上に広がる見晴らしのよい場所に広がります。少し先の方にも遺跡らしいものがゴロゴロ。発掘を進めれば、もっともっと重要な遺物が出てくる感じがします。

さらに遺跡内を散策します。

ちょうど発掘作業をしていたのは、トリフォリウムの家という場所。公営の売春宿だったそう。

そしてこちらはトイレ。大勢でおしゃべりしながら利用できる造りは、現代の私からしたら落ち着かない気持ちになりますが、古代ローマ時代の人々はおおらかだったのかなと想像してみたり。

 

床にきれいなモザイクが残されているところも発見! 今も色が鮮やかに残っています。

 

そしてこちらは、冬期に使われたリキニアの浴場の内部。壁の表面は大理石で覆われていたそうですが、長い時の流れの中で大理石は持ち出さされてしまったそう。

浴場の地下では、奴隷が火を燃やし、熱い空気を上の階に送っていました。写真中央の3本の筒状の穴はその空気を通していた跡だそうです。

 

こうして市場や浴場、トイレ、そして売春宿(!?)と見学してみると、古代も現在も人々の営みに大差はないような気がして、親近感が湧いてきますね。
また、北アフリカのこの場所でローマの遺跡を目の前すると、イタリアの都市国家であったにもかかわらず、地中海にまたがる領域を支配するまでになったローマ帝国の強大な力をまざまざと見せつけられた思いもします。

チュニジアには「カルタゴの考古遺跡」と「エル・ジェムの円形闘技場」(ともに1979年登録)と、古代ローマに関連する世界遺産があと2つあります。前者はフェニキア人によって築かれた都市国家で、3度にわたるポエニ戦争でローマに敗れ、後にローマによって植民都市が建設された都市遺跡、後者はローマ、ヴェローナに次ぎ、3番目の規模を誇る円形競技場です。併せて訪ねてみてください。

 

■チュニジア・1997年登録・文化遺産
■ドゥッガの考古遺跡
(Dougga / Thugga)