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 第42回世界遺産委員会と「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」

2018年6月24日から7月4日にかけて、バーレーンの首都マナーマで「第42回世界遺産委員会」が開催されました。
文化遺産として「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が登録され、日本でも大きく報道されたことでご存知の方も多いと思います

一方、自然遺産として推薦されていた「奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島」は、IUCN(国際自然保護連合)による事前調査の評価で「登録延期」を受け、世界遺産委員会を待たず、6月1日に取り下げられていました。今後、条件を整えての再挑戦が待たれます。

今回の結果を受けて、日本の世界遺産は文化遺産18件、自然遺産4件の計22件となりました。世界全体でみると、文化遺産13件、自然遺産3件、複合遺産3件の計19件が新たに登録されて、世界遺産リスト登録物件の総数は1092件となりました。

長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産とは?

新しく日本の世界遺産となった「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」とはどんな遺産なのでしょうか?
17 世紀から2 世紀半にわたり、キリスト教が禁じられているなか長崎と天草地方においてひそかに信仰を継続したキリシタンによって形成された独特な信仰文化が高く評価されました。その歴史を物語る12の構成資産から成ります。

1.原城跡
2.平戸の聖地と集落(春日集落と安満岳)
3.平戸島の聖地と集落(中江ノ島)
4.天草の崎津集落
5.外海の出津集落
6.外海の大野集落
7.黒島の集落
8.野崎島の集落跡
9.頭ヶ島の集落
10.久賀島の集落
11.奈留島の江上集落(江上天主堂とその周辺)
12.大浦天主堂

これらの構成資産は潜伏キリシタンの歴史を証明するもので、かつて彼らがキリシタンの信仰を守って暮らしていた「集落」が多く含まれているのが特徴となっています。

1の「原城跡」は、「潜伏キリシタン」の始まるきっかけとなったことを示す資産です。

幕府軍によって原城は徹底的に破壊されたため、現在は石積みしか見られません

「島原・天草一揆」を率いた天草四郎の像が立ちます

近年の発掘調査で原城跡からは十字架や
メダイ(聖人・聖女の方々などが彫られたメダルのこと)、
ロザリオが出土したそうです

原城は1637年に起こった「島原・天草一揆」の主戦場となった場所です。禁教政策が厳しくなるなか、領主の圧政と飢きんに苦しんだキリシタンによる反乱は徳川幕府によって鎮圧されましたが、このことが幕府に大きな衝撃を与えることとなり、鎖国へと舵を切ることになりました。ポルトガル船の来航が禁止されたことで日本国内にカトリック宣教師の不在をもたらし、キリシタンは潜伏し、やがて独自の信仰を実践してゆくことになりました。

2~6は、潜伏キリシタンが信仰を維持するために、日本の伝統的宗教や一般社会と共生してきたことを示す集落で、7~10は、信仰組織を維持するため移住した五島列島などの離島部の集落です。

頭ヶ島(かしらがしま)の集落にある「頭ヶ島天主堂」

「頭ヶ島天主堂」のある白浜集落を見下ろします

そして12の「大浦天主堂」は、「潜伏キリシタン」の歴史の終焉のきっかけとなった資産です。

大浦天主堂は、開国にともない外国人居留地にフランス人の礼拝堂として1865年に完成。そこへ長崎浦上村の潜伏キリシタンが訪れ、着任したプティジャン神父に自分たちの信仰を告白しました。この「信徒発見」が転機となり、1873年明治政府によって禁教政策が終わりを告げました。

「信徒発見」の舞台となった大浦天主堂は現存する国内最古の教会建築

1953年には国宝にも指定されています

解禁後は各地の集落で教会堂が建てられました。その一つが11の「江上天主堂」です。「奈留島の江上集落」は、禁教期に外海の潜伏キリシタンが移住して、固有の信仰形態を続けた場所で、解禁後に木造の教会堂が建てられました。

 

「潜伏キリシタン」と「かくれキリシタン」の違いは?

この世界遺産の登録をきっかけに、初めて「潜伏キリシタン」という言葉を聞いた方も多いのではないでしょうか。私もその一人で調べてみたところ、「潜伏キリシタン」=「かくれキリシタン」ではないようです。
「潜伏キリシタン」とは、禁教期の17~19世紀の日本において、社会的には普通に生活しながらひそかにキリスト教由来の信仰を続けようとしたキリシタンのことを学術的に呼ぶ言葉だそうです。彼らはキリスト教が解禁となるとカトリックに復帰しました。

一方、解禁後も引き続き潜伏キリシタン以来の儀礼や行事を続ける人々のことを「かくれキリシタン」と呼ぶそうです。しかし、宣教師もいないなか、信仰を受け継ぐ過程で、日本の土着の宗教と結び付き、その信仰儀礼や行事の変容が進んでいきます。例えば天照大御神や観音像などをマリアに見立てるなど、カトリックとは一線を画した人々を「カクレキリシタン」と表記する研究もあります。
「潜伏キリシタン」にしても「かくれキリシタン」にしても、個人の信仰ではなくて、共同体として信仰が維持されてきました。現在、島しょ部では人口減少が進んでおり、集落での伝統をどう受け継いでいくかが課題となっています。

 

2度目の挑戦で世界遺産に登録!

今回登録された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」も2度目の挑戦により世界遺産に登録されたものです。当初は「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」という物件名で、キリスト教の伝来と繁栄、弾圧と潜伏、そして復活という3つの時代を含めて、日本がキリスト教を受容した歴史に沿って、2016年の世界遺産への登録が目指されていました。

しかしながら、2016年2月、ICOMOS(国際記念物遺跡会議)の事前評価で提案内容の不備を指摘されました。禁教下で信仰を守ってきた潜伏キリシタンに焦点を絞るよう提案されたため、政府は推薦を取り下げ、再検討に入ることになりました。
その後、14あった構成資産から日野江城跡と田平天主堂を外し、構成資産に含まれていた教会堂も集落名へと変更されました。

以前、私がご紹介した暫定リスト掲載時の記事の内容からも大きく変更していますね。

 

現在、大浦天主堂を除く、世界遺産エリア内の9つの教会見学は「事前連絡」が必要となっています。
詳しくは長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産インフォメーションセンター(長崎教会群インフォメーションセンター)でご確認ください。

 

 

(文・山本厚子)