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 【歴史探訪】石神井城〜謎多き中世のお城を探訪〜
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お盆を過ぎて、ようやく朝晩は過ごしやすくなってきましたね。夏休みを終えて、早くも秋のレジャーの計画を立てている方もいらっしゃるのではないでしょうか?
秋というと、私の場合は史跡探訪の季節。古墳やお城などをよく訪ねます。そこで、我が家から一番近いお城ってどこだろう?と調べてみましたら...ありました。練馬区の石神井城です。自宅から30分足らずで行けるようなので、残暑のなか出かけてきました。

●ひっそりと痕跡をとどめる城址
石神井城は、中世武士の豊島氏の居城で、現在の石神井公園内にあります。豊島氏は平安末期から室町中期にかけて活躍した氏族で、前九年の役や保元の乱にも参陣し、鎌倉幕府の有力御家人でした。その所領は、現在の台東区、文京区、豊島区、北区、荒川区、板橋区、足立区、練馬区などとその周辺地域におよび、大きな勢力を誇っていたそうです。
最寄り駅は、西武池袋線石神井公園駅。徒歩7分ほどで公園北側の入り口に到着します。ボート乗り場と売店があり、石神井城主・豊島泰経と照姫の顔はめパネルもありました!お城探訪する人なんてあまりいないのかしら...と思っていたのですが、ちゃんと石神井城を偲ばせるものがあり、感激。売店に置かれた各種パンフレットの中から石神井城の資料をもらって、さっそく散策スタートです。
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あるとついつい顔をはめたくなります

石神井公園は石神井池と三宝寺池のふたつの池が横並びになり、池の周囲には遊歩道がめぐらされ、武蔵野の面影が残る自然に囲まれています。特に三宝寺池には、浮島を中心に氷河期から遺存してきたといわれるミツガシワ、カキツバタ、コウホネ、ハンゲショウなどの湿生地特有の植物をみることができます。湧水の量が減り、植生が変化しているようですが、国の天然記念物にも指定されており、地元の方たちなどが保護・育成に努めています。
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右が石神井池、左が三宝寺池。石神井池は、豊島氏が石神井川をせき止めて池にしたそう。

石神井城は西側の三宝寺池の東端ちかくにあります。発掘により、城全体の規模(約9ヘクタール)や内郭、空壕、土塁の位置などがわかっています。三宝寺池の谷と石神井川の低地とに挟まれた丘陵上にあり、自然の地形を利用しながら有事の際には堅固な防御施設となるよう工夫されているところに、「お城のお城たる魅力」を感じます。内郭跡からは中国製陶磁器や常滑焼、渥美焼などが少量ながら出土しており、豊島氏の財力とともに、この城に居住していた可能性も示しているそうです。
いにしえびとがどんなことを考え、どんな暮らしをしていたのか、その一端に触れる時、やっぱり歴史って楽しいなぁと思います。
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跡地には石碑や案内板のほか、土塁と空壕の位置を示す手書きの看板も。こういうのって言葉で
説明されてもなかなかわからなかったりするので、図示してくれるのはとても親切で嬉しいです


●悲劇の物語はフィクション
20150827tada14.jpg実は石神井城を訪ねる前に軽く下調べをしたところ、落城の際に照姫が三宝寺池に身を投げたとする伝説がある...との記述を読み、なにやら悲劇の物語があるらしいということで、どんなストーリーなのか気になっていました。
石神井城が戦乱の舞台となったのは、関東管領上杉氏の有力家臣だった長尾景春の乱(1476〜1480年)のときのこと。武蔵守護代を務めていた上杉顕定に背いた景春に味方し、顕定を援助していた太田道灌に攻められ、江古田・沼袋原の戦いの後、文明9年(1477)に落城しました。
「ああ、この落城の時に、城主の豊島泰経のあとを追って、照姫が入水したわけか...」と城跡に立ち、しみじみ...。
ところが公園でもらった資料によると、石神井城落城の様子を記した同時代の資料は、勝者側の太田道灌が戦功報告のために記した『太田道灌状』しかないそうなのです。そしてそこには、石神井城主・豊島泰経も照姫も登場せず、石神井城主は兄「豊島勘解由佐衛門尉」、練馬城主が弟「平右衛門尉」と官途名記されているだけ。さらに照姫は豊島氏の家系図にも出てこない、まったく架空の姫様だとのこと。お城の築造年も不明、落城時の城主も不明と、まさに謎だらけ! 
ではなぜこんな伝説が?と思ったら、明治時代の人気作家である遅塚麗水という人が書いた歴史ロマン小説『照日松』が元になっているのだそう。新聞に連載されていたそうなので、当時多くの人に読まれ、そのストーリーがやがて史実と混同されて伝わっていったようです。特に戦国悲話は感情移入しちゃいますよね。本当の話だと思う人がいるのも頷けます。

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 『照日松』のあらすじ
 鷹狩り途中の太田道灌に見初められた女性・照日。後日、道灌が妻にしようと再訪すると、
すでに石神井城主・豊島泰経の弟である、平塚城主・豊島泰明と婚約していた。道灌は平塚城に
攻め込み、泰明は落命。さらに勢いを付けた道灌は、石神井城にも攻め入り、これを落城。
城主の泰経は切腹して三宝寺池に投身し、照日もこれを追って入水して自害した。

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●巨木に守られた姫塚
石神井城から三宝寺池を挟んだ反対側には、殿塚と姫塚があるというので、こちらも訪ねてみました。
『太田道灌状』によれば、泰経は石神井城落城の際に逃走し、その後行方不明となっているので、ここに眠っているということは考えにくいのですが、後世のブームと信仰心により、墓碑が建てられたのだそう。
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お供えがあり、大切にされている気持ちが伝わります

感動したのは、姫塚。「ねりまの名木」にも指定されている大きなシラカシの木の根元にあり、雰囲気抜群。悲劇のヒロインが眠っているといわれたら納得してしまいそうな趣きがありました。小説では弟・泰明の妻・照日でしたが、その後語り継がれるうちに、いつの間にか兄・泰経の次女・照姫へと変わっていったそうです。いまは照姫伝説として、地元の人々に愛されています。
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樹高は24m、幹の太さ2.5mという、区内有数の大きさを誇るシラカシ。存在感があり、おもわず手を合わせました

毎年春には時代装束に身を包んだ行列が練り歩く「照姫まつり」も開催されています。照姫・泰経・奥方役は練馬区在住・在勤・在学の方対象の公開オーディションで選ばれているとのことなので、該当する方、ぜひ立候補をしてみては?
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お城というと戦国時代から江戸時代にかけての大きな天守閣のあるものをイメージする場合が多いですが、こうした中世のお城は史実がはっきりしないところが多い分、想像で補うロマンがあり、渋くてオツだなぁと思います。大きな遺跡でなくとも、少ししか痕跡が残っていなくとも、どれだけ往時をイメージできるか、ワクワクするかが、歴史散策の鍵なのではないでしょうか?
学びの秋、みなさんもぜひ近場の史跡を訪ねてみてくださいね。

(取材・執筆/多田みのり)