マイスターと世界遺産の知の旅へ by 山本厚子

世界遺産への旅Vol.2 ぺトラ(ヨルダン)

「世界遺産への旅」第2弾はヨルダンです。

ペトラ1

バラ色に輝く隊商都市ペトラで、いにしえの王国に思いを馳せる

両側に切り立った絶壁が続く峡谷の道。「シーク」と呼ばれる薄暗い道を進んでいくと、突然視界が開け、バラ色に輝く荘厳な建造物の姿が目に飛び込んできます。約40mの断崖を削って造られたペトラを代表する遺跡、エル・カズネ(宝物殿)です。

ペトラ2

シークは巨大な岩の裂け目。高さは60〜100mもある

ヨルダン南部、死海の南約80kmに位置するペトラは、前2世紀ごろにナバテア人よって建設された隊商都市です。ギリシア語で「岩」を意味する名の通り、ペトラは岩山に守られた天然の要塞でした。ペトラを首都としたナバテア王国は、砂漠の交易路を支配して、繁栄しましたが、やがてその地位を北のパルミラに奪われ、衰退。その後、キリスト教の支配やイスラム侵入、そして12世紀、十字軍の城塞が築かれたのを最後に歴史の表舞台から姿を消してしまいました。

この砂に埋もれた遺跡が再発見されるのは19世紀に入ってから。前回ご紹介した「アブ・シンベル神殿」でも登場したスイス人の探検家・ヨハン・ルートヴィヒ・ブルクハルトによって広く知られるようになりました。しかし、現代にいたっても、広大なペトラ遺跡の発掘はあまり進んでおらず、全容は明らかになっていないようです。

ペトラ3

中央の壺の部分は、中に宝物が隠されているという言い伝えを信じた

者によってライフルで撃たれた

『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』のロケ地としても知られるエル・カズネも何のために造られたものかはわかっていません。岩山を削って造られた建物は、岩肌の地層の模様が美しく、なかでも陽の光が当たる午前中が最も引き立つと言われています。外側には、ナバテア、ギリシア、エジプト、アッシリアなどの文化の影響を受けた装飾や建築様式が見られ、その多彩な様式美にため息がもれるほど。感動がクライマックスまで高まり、さて内側には何があるのかなと期待とともに入ってみると、これまた、ビックリ! ただの四角い部屋があるのみでした。

ペトラ4

墳墓群のひとつ、アーンの墓(壺型墳墓)。

2階のテラスからペトラ遺跡を展望できる

エル・カズネはペトラ遺跡の序章に過ぎません。エル・カズネの先には、墳墓が並ぶアウター・シーク、遺跡群が一望できる犠牲祭壇、3000人も収容できるローマ風の円形劇場、壺型墳墓や宮殿墳墓など約500も残る墳墓群、列柱の並ぶ大通り、800段もの階段を上ってたどり着くペトラ最大の遺跡エド・ディル(修道院)など、墳墓、寺院、神殿、オベリスクと数々の遺跡が散在しているのです。すべて見ようと思ったら最低でも2日間は必要になります。

 
ペトラ5

ペトラの他にも、ヨルダンには映画『アラビアのロレンス』の舞台となった砂漠ワディ・ラム、ローマ時代の遺跡が残るジェラシュ、古代のパレスチナ地図のモザイクで有名なマダバ、リゾート地でもある港町アカバなど、数多くの観光スポットがあります。

ツアーを調べてみたところ、日数は8日間以上、ヨルダン単独というより、シリア、あるいはレバノンやイスラエルなど近隣の国と組み合わせて周遊するものが多いようです。ただし、ツアーによってはペトラの観光時間が短いものもあります。じっくり見学したい方はスケジュールをよく確認することをおすすめします。

さまざまな民族や文化が交差し、折り重なるように歴史が紡がれてきたヨルダン周辺の地域には、イスラムをはじめ、キリスト教、十字軍、ローマ時代の遺物が散らばっています。その大地を旅する者は悠久の時の流れにロマンを感じずにはいられないでしょう。

■ヨルダン・1985年登録・文化遺産
■ペトラ(Petra)

 

(取材・執筆 山本 厚子)

 

 

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